大学時代 フットボール部 創部 @5
浪人後、松阪大学に進学。残念なが大学には、アメリカンフットボール部がなく大学1年時は、探し当てた県内のクラブチームに入部することになります。けれども週1回の練習。体力がありあまってしまうのです。
そこで、2年生の時に体育の授業で知り合った友達とアメフト同好会を発足。そして、3年次に体育会に認めてもらって部に昇格。部室や運営費も学校から得られて晴れて創部。しかしながら、この松阪大学、学部一つの単科大学生徒人数1000人ほどの小規模大学。勧誘活動をするのですが部員が集まらないのです。
最低、20名いないと試合ができません。う~ん困りました。試合ができないとモチベーションも上がりませんよね。
大学1年の頃からお世話になっていたクラブチーム。日曜日は、このチームで練習。平日は、大学のチームで日常の練習と練習環境は複雑なものがありましたが、ここは辛抱。モチベーションを上げて引き続き、勧誘活動と部の運営、そして、練習の指導をしていた日々を過ごすわけです。
大学3年の秋だったか、アメリカンフットボールの月刊誌、タッチーダウンに紹介されていた競技、タッチ・フットボールと出会います。タックル排除。6人制のアメフトの簡素版の競技。リーグ戦も開催されているとのこと。早速協会に加盟し、来春開催されるリーグ戦を目標に活動をすることになるのです。
意欲向上の為の苦渋の決断。でも、この決断は僕達にとってよき方向へと導かれるのです。4年時、4月に行われたリーグ戦。順当に勝ち上がって、代表決定戦に上りつめるのです。残念ながら、聖和大学に敗れはしたものの準優勝。部員のみんなが自信を深め一回り大きくなれた大会になりました。
4年時、1年の新入部員を4名獲得。11名での活動になります。4年生は、就職活動と併用で練習。僕も実家の滋賀と大学を就職活動の為に往復して練習に参加したりとチームが盛り上げって来た時に、就職活動が入ってアップアップの4年時。そこを踏ん張り秋のリーグ戦に向けて練習です。
写真は、この年の8月、2泊3日の長浜合宿。
燃えに燃えたこの1年。合宿時、肉体的にも精神的にもこれ以上ない所まで来たと自覚。
だから、社会へ出た時に、この時の自分が基準になったのです。
気合の空回り。リーグ戦4位と敗退。涙を呑むのです。
満を持していただけに帰宅後、外にも出たくない心境でした。これで、4年間のクラブ活動の終止符を打ちます。アメリカンフットボールの試合は出来ませんでしたが、タッチフットボールに形を変えて仲間と共に過ごしたこのチームでの出来事は、生涯を通じての僕の財産です。
今でも、彼らとは、年賀状のやりとり、フェイスブック、5年周期の同窓会など、再会を喜び会える青春を謳歌した仲間なのです。
卒業の時だったか、スパイクにみんなの名前を書いてもらったかな。今でも僕の部屋には、このスパイクが飾られています。僕の大学時代の生き様そのもの。そして、魂なのです。
後輩達に部室を明け渡す時に、次期キャプテンの虎ちゃんに写してもらった1枚。
最後の負けだけが心残りでしたが、充実感は200%。これ以上のものはなかったです。出来上がったチームに入部していたらどうだったでしょうか。フットボールがこれほど好きになれたかどうかは分かりません。
仲間3人からスタートした同好会。そこで、人を育てること、上に立つこと、チームを作りあげること。その為にはの自問自答の毎日でした。でも、これが面白かった。そこには、仲間の助けももちろんありますが、チームを運営をすることがこんなに楽しいものだとは思わなかった。
何もないところから一つのものを作り上げる喜び。創業者精神を学び得られたのでしょうね。