ブルーベリー畑の造成とレイアウト
田んぼを転換し畑につくり変えたり、平野や丘陵地帯で栽培したりと栽培をする環境によって造成のやり方は
変わってきます。一番の難題と思う場所は、やはり、田んぼ。それも粘土地の田んぼ。
僕の場合は、代々米農家。難題と考えられる、田んぼでブルーベリーの栽培が始まりました。
最初、専門家の先生に栽培の計画をしている田んぼで実際にブルーベリーが育つかどうか見てもらいました。
結果は、育たないです。粘土地では、無理との解答でした。
でも、夢をあきらめるわけもできず。父に相談すると。ブルーベリーくらい育つわ。
わっはは~でした。
ほんまかいなと思いながら、父のやり方に耳を傾けると、やっぱり昭和30年から農業やっているだけあって、僕の
知らない知識を話してくれました。
父は、若かりし決起さかんな20代の頃に、温床キュウリで名前を上げたみたいです
その時の技術が使えるから造成を教えたろでした。
今から思うと、父の教えがなかったらブルーベリーは、育ってないでしょうね。
ブルーベリーの栽培をやろうとしたのは、粘土地の田んぼですから。
父の教えの元、第1農園は、順調にブルーベリーは、育ちました。
下の写真は、父が造成の技術を伝承してくれた第1農園のブルーベリー畑。
2008年の11月下旬の植え付け8年目の様子。父の技術は、正解だった証明する写真です。
栽培を始めて4年ほどしてからかな。ハイブッシュブルーベリーを育ててみたいと思うようになったのは。
技術者魂に火がついたと言ったらいいのでしょうか。あの頃は、毎日、24時間ブルーべりーのことばかり
考えていました。熱中しすぎてアドレナリンが噴火してたのかな。
ハイブッシュブルーベリーを育てるには、悩みました。もちろん父の教えはベースです。けれどそれだけでは
育たないのがハイブッシュブルーベリー。僕の栽培予定地は、これまた、粘土地の田んぼですから。
そんな時に力を貸してくれたのが、大親友の中川。頼りになりました。建設会社を経営する彼。
父の教えを説くと、解った任しとけでした。なんて頼もしい。土木工学を学び、現場を指揮している
中川にとっては、なんやこんなもんくらいやったのかな。
父の教えをベースに数々のアイディアを提供してくれたのです。
僕には、新鮮でした。こんな考えがあるんやって。
ハイブッシュブルーベリーを植え付ける年から逆算して、植え付け前の2年間は、ブルーベリーの生育の為に
よいであろうと思われる根拠あるものを栽培しました。残念ながらナギナタガヤではありません。
メガネを覗いて、造成。どう言うことか解りますか?
造成完成後の土の表面。2年間でしたが、とあるものの栽培で、ブルーベリー栽培のベースとなる土としては、
僕のイメージどうりになってくれました。時間をかけて大成功でした。
畑の区画に、穴を掘って、教科書どうりにピートモスを入れても、生育は良好に向かうとは限りません。
ブルーベリーが育ちやすい環境に畑を作り変える必要があります。どんな土地でもそうなんじゃないでしょうか!
植え付けの密度も、栽培書を読むと、2m×4m。2m×3m。さまざまです。
決して間違いじゃないです。
一番、大切なのは、この農園で、どのような販売形態を目指すのかです。
それによって植え付けの密度や本数を考えなくては行けません。
レイアウトを考えるわけです。
それから、結果論としてですが、剪定技術の向上によって、植え付けの密度・間隔を広くとればよかった~とか。
狭くした方がよかった~とか。悔まれる結果に陥ることがあります。
もちろん、品種によっても密度は違います。
要するに、人がこうしたから自分もこれじゃないのです。自分は、この畑で、こんなブルーベリーを栽培して
こんな販売体系を考えているから、この畑のレイアウトにするべきだと考えなくては行けません。
一番、最悪なのが、植えつけ4年後。生育の結果を見て、あらら~と感じることです。
そうなった時には、すでに遅いですね。
僕の読みが甘かった点は、研究心を貫けば、剪定技術は、向上すると言うことです。造成した当初、計算に入って
いなかったことです。選択したレイアウトは、間違いじゃないけれど、同じレイアウトでブルーベリーを再度、
植え付けるかと問いかけられれば、答えはNOです。
この剪定方法を使うなら、このレイアウト。そう考えれるようになってきました。
2008年11月下旬の第3農園のハイブッシュ。定植は、2006年4月。