初練習から感じたこと
昨年の駅伝は敗けた。母校の陸上部をサポートするようになって9年目。初めてじゃないかなあの悔しさ。チーム全員そうだと思う。だからブログに駅伝のことがなかなか書けなかった。と言うより悔しかったので書きたくなかった。結果、誰が悪いんじゃないのです。みんな頑張ったんです。3年生達、夏もさぼらず練習に来てくれていたんです。立派なもんですよ。監督も校長先生も教頭先生も熱いのは伝わるくらい伝わってます。総監督も見に来て下さった。けれども、こんな年周りもあるのです。
僕から見て残念なこと一つ上げるとするなら、選手を束ねる者が3年生にいなかったこと。真面目に練習をするんです。けれども、駅伝はチームスポーツ。以心伝心が残念ながら彼らからは感じとれず。そこは真面目さとは別問題の所。しかし、経験や年齢を重ねるうちに、分かってくると思います。真面目さプラス必要なものが。彼らには人格を形成する上で一番大切な真面目さが備わっています。そこが強み。強みを生かして、これから始まる受験シーズンを乗り越えて欲しいな。頑張れ~
駅伝シーズンが終わって、悔しさが残る中、今年の初練習に参加。お正月明け、みんな元気な顔を見せてくれました。2020年チームの始動です。今年のシーズンはどうなるでしょうか。先頭を引っ張ってくれる選手はいます。育っています。意欲も伝わります。あとは、周りだ。あいつに負けたくないって思ってくれる選手が増えれば必ずいいチームになる。今年も温かく見守って行こうと思っています。
練習終了後、そんなことを思いながら帰宅。そういやお正月に見ていたものまだ、中途半端やなと思い、昔の写真を手にすることに。
父の若かりし頃の写真を発見。左一番上が20代の頃の父。資料によれば、当時、母校の中学校の評議員になっていたらしく、スポーツ委員って書いていました。たぶん、その縁で駅伝の指導をしていたみたいです。
なんかビックリや~
母校の長浜農業高校では、卒業後に陸上部のコーチをしていたことは聞いていたんですが、まさか母校の中学校でもやっていたとは。どれだけの期間、面倒を見ていたのかは資料から確認できませんが、評議員の期間は駅伝を担当していたんでしょう。きっと。
写真の裏には、第7回坂田郡駅伝競走大会、順位3位の記されています。親父、どんな練習を教えていたのか分からないのですが、20代やから熱血感を持ってやっていたことは想像がつきます。高校では、5000Mが専門種目だったこと。3年時、高校駅伝では1区を走ってチームは県大会2位。おしくも都大路・全国駅伝は逃したことは聞きました。そして、高校卒業後、25歳までトレーニングは積んでいたことも聞いています。
現役の頃の父。社会人になっても走っていたから、そうとう走ることが好きやったんでしょうね。特に駅伝は。胸に米原って書いているから郡市駅伝の一コマでしょうか。父の想いが伝わる写真です。
駅伝の文化は歴史が長い。母校の中学校を見るだけでもそうです。よく先輩達が築いてこられたものがあって今があり、そう言ったものが伝統なんですと言われます。けれども、なかなかこの伝統って言うのは若い時には表面的には分かった感覚があっても、本当の意味では理解が難しいものです。ましてや中学生、今やっている練習を頑張ることが精一杯でしょう。僕もそうでした。
今を頑張る。それでいいのです。今の頑張りは、見てくれている人達がいます。頑張りは絶対に伝わっています。一生懸命さを伝えてくれさえすればいいのです。それも伝統なんです。
駅伝部3年生、全員、1000Mは2分50秒台。それだけでもプライドマーク。俺達、頑張ってるやろって走りで伝えてくれたんです。カッコよかったぜ~
今年もそんな気持ちが伝わる練習を期待していますね。