親父のプライドを背に
ばらまき育苗のクボタ田植機・受講ノート。年末年始、御押入れから見つけた感動の一冊。昭和46年、亡き父が米作りの機械化の波に乗り歩行田植機導入の為に育苗の技術を身に着け始めた第1歩目の資料です。
今までの手植えの時とは違った手法で苗を作る訳なのです。設定温度に催芽に播種量、そして、見たことない農業資材。刺激もあるなか緊張の連続だったと思います。技術開発の日数も浅く、みんなが手さぐり状態の中での技術の積み上げ。このノートを見て感じます。
これが昭和46年当初の最新鋭・クボタ歩行田植機 SPS-28/13 月産15000台 年間80000台。売れに売れたSPS-28。
僕が農業を始めた時に父が当時に勉強していた小西氏の本をくれました。田植機に合う育苗方法が書かれている本です。表紙に小西氏の手のひらに載せられた苗。この小西さんの苗の姿そのものを作るんやって言ってくれたことを思い出します。たぶん、親父、この表紙の苗に刺激を受けたんでしょうね。僕には分かる、親父の苗そのものだから。
苗つくり、育苗を勉強し、クボタ歩行田植機に投資をする父の意気込みが伝わる「農業近代化資金借用証書」借入金額30万。5年返済。完済は昭和52年12月。融資実行日。昭和46年11月16日、僕が誕生した7ヶ月後。父の投資の決断。背中を推してくれた要因が僕の誕生なら嬉しい。
そして、時代は流れ平成31年4月。僕は蜜苗方式を導入し育苗を計画しています。
それに伴い、田植機を蜜苗専用機に移行。ヤンマーRG8に投資しました。不安もありますが、この父の借用証書が僕の背中を推してくれてます。父の意気込み感じる魂そのもの。
家名は角田五兵衛。五兵衛は「負けたらあかんのや」が口癖だった父。父の想いをヤンマーRG8で今春に表現したいです。