吾一ブログ

Goichi Blog

母校の陸上部
2025.11.27
園主紹介

恵太と藤井 母校の中学校 陸上部をサポート 40代前半

母校の中学校、陸上部のサポートを開始して初めての1年生が彼ら。中・長距離のパートだったから特に思い入れがある2人と書くのが正解かな。恵太は800M。藤井は3000Mの道に進んで活躍をしてくれた。3年次、監督が変わられたからチームの空気感も変り環境の変化によく順応して練習を頑張ってやってくれたなって印象が深い。

恵太は夏季総体・決勝3位。見事に近畿大会へ。最高に嬉しかった。けれど、僕のサポートだけでは近畿大会に行かせてあげられなかったなって実感もした。夏季総体。近畿狙い。大会を見に行けなかったから大会が終わった後、恵太との会話の中から考察した。近畿大会へ駒を進められたのは、監督のアドバイス「前へでるな」この的確なアドバイスにつきるかなと考える。

2人には1年次から前へ出ることを教えた。初めは怖いよ。レースで前へ出るの。けれども強くなればいづれ分かる。前へ出て自分が理想とする位置どりを周回の中でやらない限り勝負に勝てないってこと。

恵太に関しては、3年次春季総体は惨敗。2年次の秋季総体が3位だから落胆。気持ちを切り替え、通信陸上。そこでも勝てない。仕事でレース後にしか恵太に会うことができず、そこでポツリと前へ出ても勝てないって言われた。僕も彼から発せられたこの言葉を鮮明に覚えてる。レース見られなかったからアドバイスもできず知恵をつけてあげることができなかった。

一辺倒な戦いを監督が見て夏季総体は着どりの戦術を解かれたのだろう。だから、「前へ出るな」の戦術。そう800Mは、自分が周回を引っ張ってしまうとラストは必ずバテル。それを分かって前へ出ない。わざと前へ出ささない。このアドバイスがあの時は大正解なのです。

大会のDVDを総監督から頂きレースを見た。恵太、監督のアドバイスどうり戦術を持ってして近畿に駒を進めるレース運び。的を得た言葉でイメージさせる話術。アドバイスを送った監督もただ単に前へ出るなではなかったと思う。言葉の前後が必ずあったはず。そこが大事。恵太とのレース後の会話からの勝手な空想だが考えさせられた。指導するってことも含めて。

駅伝シーズン到来。地区予選、県大会と最終区を任されたのは藤井。1年生の時からひたむきに努力してきた彼。入部時、1000Mは4分かかっていただろう。たぶん。けれど3年次は3分前半で1000M×3くらいはペロリと走るまでに成長してくれていた。

性格は温厚。成績優秀。努力することを知っている。笑わせてやるとニッコリしてくれたよな。蘇ってくる藤井のスマイル。挑戦し続けた3000M、9分台が出なかったのだけれど、最終区の走りはできていたよな。予選会、最後の上り坂、後方から近づくライバル校。「絶体抜かれるな」の腹の底から出した僕の声に反応してくれたことが、僕の中で彼との一番の思い出。

意地でも抜かれなかった。

監督が言っていた。1年の時から指導したかったなって。そう思わせる才能。それに素直な気持ち持ってるから応援してやりたくなる。野球少年だったから体幹も幼少期から備わっていてフォームも持続する。綺麗だ。自分の中学時代に重ねてサポートを続けた。

デビュー戦の1年春・春季総体。1年1500M。前へ出ろのアドバイスどうり400M通過ラップ63秒。もちろん先頭で駆け抜けた。着順は8位入賞。物怖じせず走れる肝っ玉。前へ出ろとは言ったものの本当に演じるとは思っていなかったから強烈な印象が残っている。

県駅伝。希望ケ丘コースにて3000M・9分50秒。区間賞とはいかなかったがエースの走りは僕に魅せてくれた。

写真、2年次の秋。秋季総体・男子800M・決勝3位。表彰台へ。むっちゃ嬉しかったのを思い出す。

恵太に藤井。大学を出て、もう社会人だよね。気持ち入れて仕事をやってるか。攻めるだけじゃ駄目だぞ。状況を見て考えろ。一旦、立ち止まるのも攻めだ。けれども、攻めを知らないと立ち止まるポイントが分からないよな。失敗や負けを経験して絶妙な位置が分かるんだよね。

恵太と藤井。3年次の駅伝チーム。記録会にて。

追伸。

中川、大学教授になったのか。
教授室に俺が贈った写真を飾っていてくれているなら嬉しいな~。