吾一ブログ

Goichi Blog

フラッグフットボウル
2025.03.16
園主紹介

フラッグフットボールの指導 37歳の頃

お米とブルーベリー栽培。毎日の慌ただしさの中、仕事に邁進していた37歳の頃。ふっと我に返る時に思い出すことがあった。大学4年次の秋のリーグ戦。ライバル校・聖和戦。なんであの大一番。あそこであのプレーを示したんだと。

気持ちの高揚を抑えられず無理にねじ伏せようとした自分を思い出す。すべては自分が悪いのは分かる。だから自分の愚かさと悔しさが消えなかった。そして、あの場面、いったいどんな自分が正しかったのか答えが分からないままになっていた。

そんな時に小学生向けのフラッグフットボール教室があることを知る。フラッグフットボウルと言うのはアメフトの簡素版。大学時代にやっていたタッチフットボールと同等な競技。答えを見つけにチームの仲間に入れてもらうことになる。
フラッグフットボウル
想像はしていたがチビちゃんばかりのメンバー。週に1回のフットボール教室をベースに活動するチーム。僕も10年ぶりの現場復帰でキャッチボールがこんなに楽しいとは夢にも思わず練習を楽しませてもらっていた30代の後半。試合も熱が入っちゃって学生時代の熱い気持ちが蘇ったよ。
フラッグフットボール
ひろむ君。通称ヒロムッチ。司令塔のQB。伝えたこと耳を澄まして理解を深め心の中に落とし込んでくれていた当時の様子が目に浮かび上がります。そして、綺麗な弾道のパスをポイントで決めてくれるのです。集中力を持ってしての技。中学になった時に吾一農園に職場体験に来てくれたんだ。嬉しかった。いいお兄ちゃんになっていたな~。
フラッグフットボール
たかちゃん。カットバックを見た瞬間に一級品って分かった。スピードが落ちない直線的なカットバックとでも表現すればいいのかな。誰に教わったのって聞いたら苦笑いしていた。だから天性なんだよねあのカットバック。中学時代は勉強を頑張ったのも知っている。社会人となった今、当時のカットバック同様に人生を華麗に駆け抜けてくれていたら嬉しいな。
フラッグフットボール
けんた。思い出ありすぎ(笑)一言で言うならわんぱく坊主。少年時代の僕そのものと感じた。だから親近感が沸いた。そして、運動神経は抜群によかった。特に球際の強さ。せった時に相手に負けないんだ。それから、プレーの理解度も速い。今は仕事を早く覚えて独立したって聞いたが順調か。生きる力は持っている。人に喜んでもらえる仕事をするんだよ。そうすれば必ず成功する。
フラッグフットボール
2年半の活動後、けんた世代を送り出してチームを去る決意をする。教室では楽しさはあったが苦しさがない。だから聖和戦での自分の不甲斐なさを修正する答えが出なかった。それがチームを去った理由。

チームを去る決意はしたものの仕事人間に逆戻りではちょっと寂しい気がするなって思っていた時に、中学時代の陸上部の監督と再会するのです。出会った瞬間に吾一お前あとこんなけやったなあって指と指を指してくれた。僕には分かった夏季総体・男子800M決勝のこと。監督、当時のこと覚えてくれてたんやって。

俺、戻る場所あるやんって。そう母校に。数日後、監督に打診した。母校の陸上部を手伝いに行ってもいいのかどうかを。一度、校長さんに相談してこいが回答だった。