吾一ブログ

Goichi Blog

ブルーベリー園造成
2025.02.02
園主紹介

ブルーベリー栽培開始 2000年3月

ブルーベリーを栽培し、ブルーベリー狩りを楽しんでもらう農園を作ろうと視察に赴き、栽培技術の情報収集を米作りとライスコロッケの製造販売をやりながら同時に進めていた。資金調達は1998年秋からライスコロッケで稼ぎ出した70万の利益から。資材と苗の試算を出し、手持ち資金でなんとかなることは分かった。

けれども、栽培技術がしっくりこない。視察と机上論だけで実際に栽培していないから。不安でしかたない。困った。そこで、親父に相談。ブルーベリーはツツジ科やろ。そんなもん心配せんでも育つわと笑われた。親父は長浜農業高校卒業と同時に畑で温床キュウリを栽培していたそうで、その技術が使えるとか。畑は水はけや。水は高い所から低い所に流れるやろ。山を見てみ。木は育ってるやろ。なんでか考えろって言われた。

GL-32にローダーを付けて造成の開始。図面どうり区画をし親父の操るGL-32を見て造成を学ぶ。これが2重掘りって言うやり方やと教えてくれた。昔は鍬でやったんやって当時を懐かしそうに僕に言っていたのを思い出す。あれだけ視察に行って現場を見て勉強した畑の造成ですが、僕が親父に示した造成の図面は駄目だしをもらうのです。でも、親父が見せてくれた2重掘りを見て良く分かった。提示した造成は何が駄目だったのかが。
ブルーベリー定植
2000年3月14日に造成後のブルーベリー畑に苗木を定植。今でも思う。親父が教えてくれた2重掘りがなかったら、定植した苗は湿気で育たなかっただろうなって。

だって造成前の圃場は重粘土の田んぼだったから。もちろん、周囲も田んぼ。水に囲まれている訳なのです。
ブルーベリー園
苗木の定植後の畑の様子。苗は小さく有機物マルチで隠れてしまっているので写真では見えないのですが、植え付けはしてあるのですよ。これでなんとかブルーベリーの定植まで完了。嬉しかったな。最後は親父の知恵と技術を借りたのだけれど達成感は十分。

僕が何故、当時に米作り以外のライスコロッケやブルーベリーをやったのかと言うと、世間から親父の後継ぎやろ、そんなん成功して当たり前やんと思われることが僕のプライド的に許せなかったからなのです。だから、米作りをやりながら親父のまったく携わってこなかった別の部門をやろうと思ったのです。大学時代に培った創業者精神で。
ブルーベリー園
滋賀県は湖北地区の田園地帯。琵琶湖湖岸に面した重粘土地のブルーベリー畑ですが、親父の教えてくれた2重掘りの造成のおかげで土が良く乾きます。雨が降っても水が貯まらない。この苗木を定植した2000年初頭、頭の中はブルーベリー園の運営のことでイマジネーションが膨らみ毎日がドキドキ感に包まれていた時だったように思います。