28歳の頃、日常は親父と米作り。週末は、通帳にあった5万円を資本に「お米を美味しくイタリアン」のキャッチでライスコロッケの製造・販売を長浜市・黒壁の土田金物屋さんの前にて畳一畳のスペースをお借りして実演販売を始めるのです。親父と作った米をライスコロッケに変え米に付加価値を付けて販売して行きたいと考えていた時期でした。
ちょうどその頃に出会った雑誌が「森のベリー・庭のベリー」。ここで紹介されていたブルーブラックに輝くブルーベリーに衝撃を受けるのです。体に電気が走ってしまったのです。いてもたってもいられなく、栽培方法を調べます。今でこそブルーベリーの認知はありますが、僕が栽培を始めた頃は、ロッテのブルーベリーガムがあったくらいで認知度は低く、国産果実としても流通もされていない時代でした。もちろん、周りに栽培されている農家さんもお見えになられません。専門農家に栽培の専門書なし。ほんと困った。
当時、光回線ではないピーピョロロロって音がするアナログ回線時代のインターネットを頼ったり、雑誌・現代農業や農文教さんを頼りブルーベリー関係の情報を得ることになります。そして、日本ブルーベリー協会さんに出会いここで情報が一気に開花して栽培技術たるものを得て行く訳です。そして、全国の有名なブルーベリー栽培農家へ視察。九州や東京へ飛んだな~。

栽培を勉強するなら農家です。けれども、ブルーベリーは粋なもの。農家の枠を超えなきゃと思っていた時に目に入って来たのが、オーストラリア旅行に出かけた時に宿泊ホテルで目にしたワイナリーの広告。MOUNT TAMBORINE。
ここだって思ったからラングラーのJEEPを借りて向かった。宿泊先から約80キロ離れたワイナリーへ。余談だが、ラングラーV8・4ℓのドロドロした排気音はたまらなかった。道もでかい。信号なし。けれど、途中、標識を見落としていた為に道に迷いクマに注意の看板を目にしながら泣く泣く辿りついたが光景に圧倒。目に入って来るものがすべて刺激なのです。

この樽を看板にしたオブジェを見て気持ちが高揚しない訳がない。

日本で観光農園って看板あげている所に赴き、視察もいくつかさせて頂いていましたが、どうもしっくりこない。何故かと考えると景観を強引に作るから元の情景になじまないのです。このワイナリーは自然に溶け込んでいるのです。だから心地いい洗練。ありのままです。そこで、僕も考えた。ブルーベリー+粋なもので勝負なのですが、まずは農家は農家でありのままでええやんって思った訳です。農家まるごと全部みたいなコンセプトで僕のブルーベリー園を表現しようと。

旅の英語辞典を片手に紙に英文を書いて、たぶんオーナーさんだと思うのですが会話を楽しめました。目から入ってくるタンボリンのワイナリーに強烈な刺激を受け一眼レフのシャッターを切り続けました。頭の中で想い描いたブルーベリー園。霧がかかった状態がずっと続いていたのですが、この地に降り立ったことで霧が晴れました。

当時はデジカメも普及しておらず、写真は24枚撮りのフィルム。その中の1本のインディックス。1999年3月
●追伸 旅の思い出

僕は海老が大好きです。特にロブスター!!!
食べました大きいやつ。

当時は1豪ドル=70円時代
ランチで日本円で3.000円だったような。
この値段でこの美味しさ。肉質の繊維が違うのが一口食べた時に分かりました。
肉のブリブリ感×大胆な調理方。大味なんだけれど素材が生きてるから
小細工はいらない感じ。
今思うと獲物を捕った跡の処理が違うのかな。想像ですが。
だからのこ美味しさ。この海老は次元が違った。
今だにこの味を超えるロブスターとご対面したことはありません。
僕のオーストラリア旅行の思い出の味。

豪・ゴールドコーストを拠点にレンターカーの旅。
このCope Byronの灯台も旅を思い出すと情景が浮かんで来ます。青バックに白。
思い出の絶景。
ブルーに澄み渡ってた。空が。
