信金バンクを26歳の夏に退職。大学2年次にフットボール部を作って創業者精神を体で学んだ僕にとっては、作られた組織では自分が輝かないのです。と言うより、自分で何でもできる自信がついてしまっていたのです。この段取りを踏まえて行けば仲間を作って組織はできるってこと。そして、自分でミッションを実行する楽しさと喜び。これ以上のものはないこと。

代々農業を生業としてきた角田家。11代目の父が水稲の大規模経営に舵を切り設備投資を行っていたのが僕の高校3年生の頃くらいから。一番、衝撃が走った機械はグレンタンク付のコンバインを見た時。クボタR1-30です。TVで見たことのあるアメリカンなコンバインが目の前にあるやんって感じ。トラクターも同じくして一回り大きくなりキャビン付き。機械好きの僕からするとワクワク感でしかなかったですね。だから、親父のやってることがカッコよく見えたのです。そう感じていたのが学生時代。俺もやってみたい。

そりゃ親父のかっこいい農業は見てます。大学1年の夏休みは実際に稲刈と籾摺業務を当時の最新設備で生産現場を手伝い体験したので。けれども、社会も見ておこうと思ったのが就職活動が始まった4年生の時。今でこそ農業生産法人って全国にありますが、当時は法人組織で農業やってる所の求人がなく文系で地元となると、公務員、スーパー、金融。その3択。さすがにJAはど真ん中すぎて抵抗が。。。面接の評価でご縁あったのが信金バンク。けれども、待ち受けていたのがガチガチの縦の組織。そりゃ、金融機関だから当たり前です。
金融機関の組織では、大学で学んだ創業者精神なんて何も出せない。これが自分が自分でないギャップとなる訳です。でも、親父のかっこいい農業はと言うと、自分の想い描くことが何でも無限大。やっぱりそこやろって作られた組織に属して身を持ってして感じたこと。自分の能力が一番発揮できる環境で仕事することが僕にとっては心地いい。選び直したのは親父の農業の道に入ること。
「吾れ思う故に、吾れ有り」。自分を貫けるから。
後々、思うのですが信金バンクに就職してそこは大正解だったのです。選択には間違ってはいないのです。何故か、融資業務を担当させて頂けたから。これが後の財産です。簿記と決算書。資金調達。資産運用。これらのことが現場で実際に見れたことが大きいのです。農業経営する上でたたき台となる言葉や業務に触れられたってことです。

翌春の田植。クボタSPA6をドライブ。植えて、育てて、売るぞ!!!
やる気満々。この年の水田の耕作面積は13ha。
